大雨を浴びながら


言葉と哲学の雨に飛び込む 

最近雨が多いけど、傘を持っていなくて・・・
という話ではありません。 


周りの方に呆れられるくらいの
感覚で動く、表現する性質なので、
想いがあっても、 アウトプットする時に
うまく言葉にならないことが たくさんあります。 

なので周りの方から「?」と 思われている場面が
よくあります。 

それでもお付き合いくださる、
素晴らしい方が多いです。 


そんなこともあって、
普段から 自分のボキャブラリーや
表現を豊かにするために
たくさんの言葉と哲学の雨に飛び込む。
という機会を たくさん持つようにしていました。 

要するに学びに行く(インプットする)、
ということ。 

新たな出会いや知らないことを知る、
はもちろん 知っていても別の視点や表現で
見聞きする楽しさを感じています。 

内容が少し難しくても、
空気を吸いに行くつもりで、
全てを理解できなくても
そこで感じること
少しでも拾ったキーワードやエッセンス
にワクワクします。 


ただ、これもやりすぎるといけません。
雨に打たれ過ぎたら、風邪をひくように
やりすぎると、吸収する部分も無くなるし
吸収できなくなるから、
ただ、ただ自分の前を流れていくだけ、
受け止めたつもりがこぼれ落ちていくになる。 

こうなったら全てを
うまく活かすことができなくなり
交流もできなくなくなります。
これは学びに限らず、
日常生活にも 言えると思います。 

どんどん日常生活が無自覚に辛くなる。

目の前に流れているあらゆる機会を

得ているようで、

実は吸収するキャパシティが無く

ただ流れているだけ。

次第に嫌になる。 


乾くのを待つ 

わたしもしばらく、

意図的にインプットの場を

限定していました。 


はじめは目の前に流れている、

降ってくるせっかくの機会を 

見過ごしているような気にもなるし、

周りからどう思われているだろうか?

これで良いのかな?と思う時もありましたが、

とにかく何かを吸収するキャパシティの部分が

乾くのを待ちました。 

そろそろ少しは 吸収できるようになったかも、
と 思えるまでに思いの外時間がかかりましたが

ある時、そろそろ大丈夫かも・・・ と思って

少しずつまたインプットの機会を 作ってみると、

機会を劇的に増やしたわけではないのに
自分が大切にしたいと思う部分に

共鳴するような言葉や哲学に出会う機会、

ヒット率が高くなった気がします。 


そこから 「自分の想いを表現するなら・・・」

という言葉が少しずつ出てきました。 

どんな言葉か、はまた。


ecorazón (エコラソン)

ゆもとりえ 

riezoo.y.m@gmail.com 

ecorazón

共に「聴く」「伝える」「創る」の循環でその人・組織の可能性を再発見。 次世代に繋ぐ「明日も働くのが楽しみな文化」を創ります。